|
No 62
Date 2007・03・11・Sun
エピローグ早いもので、あのオーストラリア・バイクツーリングから一年が経ちました。
気ままに(というか、ダラダラと・・・)旅日記を綴っていたら、 とうとう一年もかかってしまいました。 最後までおつき合いいただいた皆様、どうも有難うございました。 途中、暖かい励ましの言葉もいただき感謝の気持ちでいっぱいです。 今もデスクのパソコン画面は、バイロンベイへ向かう途中に出逢った 青い空と海岸線の風景をデスクトップの背景にしています。 あの旅は、私のその後の生活を大きく変えました。 これまで海外には何の興味も持たず、46年間も生きてきたのに、 あの旅以降は「世界」や「海外」という言葉に敏感に反応するようになりました。 最初の海外旅行が団体のツアー旅行でなく、行きあたりばったりの個人旅行、それも大型バイクでの気ままなツーリングで、現地の友人達とのふれあい旅だったということが、感動値・体験値を増幅させたようです。 帰国後、英会話・海外情報番組・旅行記などに興味を持ち始め、海外に関するテレビ番組を探したり、海外ツアーの新聞広告を見つけては料金をチェックしたりするようになりました。さらに訪れたオーストラリアや香港の為替レート、新聞の国際面の記事まで毎日見るようになりました。 実際に自分の目で見たり、肌で感じ、体験しておかないといけないものが、まだまだたくさんあるということに気づかせてくれたN君に、本当に感謝しています。 そのN君も昨年秋に東京へ転勤になりました。 事前に転勤になることは分かっていましたが、実際に仲間がいなくなると、やはり寂しいものです。 次にN君と、また旅が出来るとしたら、どこになるんだろう? 去り際にN君が言っていた「ラスト・フロンティア」と呼ばれる彼の地だろうか? またハードな旅になることは分かっていても、誘われれば、たぶん一緒に行くだろうなぁ・・・。 だって一年経った今でも、目をつぶればオーストラリアの原生林ハイウェイの中を、脳内i-podのGREENDAYをBGMにしながら、トライアンフを駆る自分の姿が甦ってくるのだから・・・ ![]() |
|
No 61
Date 2007・03・03・Sat
8日ぶりの関空ちょいフテ寝気味でも、少しは眠れたみたいだ。
目が覚めてからは、刻々と変わる関空までの距離と対地速度や、ナビモニター画面上に現れ始めた日本列島を見つめ続ける。 ようやく日本に帰ってきたという安心感が徐々に広がってくる。 往路の関空〜香港から数えると、5回目のフライト。 最初から最後まで揺れらしい揺れもなく、飛行機が苦手な部類の私でも、キャセイは本当に快適だった。 沖縄本島・四国沖と通過し、紀伊水道上空で関空への最終アプローチに入ったことを知らせるアナウンスが、これまでと同じように、広東語・英語・日本語の順であった。ジェット気流のおかげか、定刻より13分早いランディングだ。 「お疲れさんでした、無事に帰ってきたね。」荷物を下ろしながらN君と言葉を交わす。 出発時に乗ったウイングシャトルでターミナルゲートに戻り、入国審査もスムーズに終わった。 荷物が出てくるのを待っている間、さきほど電源を入れた携帯にメールが入る。「ロビーに来てるよ」いつもは怖いカミさんからのメッセージが暖かく感じるなぁ。 無事に荷物をゲットした我々は、カートを押しながら到着ロビーへと急ぐ。 外に出てみると、久しぶりに見るカミさんと娘、それにN君の彼女が笑顔で待っていてくれた。 「おかえり〜!」「ただいま〜!」みんなの顔が笑っている。N君も久しぶりに彼女の顔を見て嬉しそうだ。 こちらは、8日間伸ばし放題の無精ヒゲで少しは逞しくなったかな? エッ何?余計みすぼらしい顔になってしまったって? まぁそれは置いといて・・・家族へN君にどれだけ助けてもらったかを伝える。 「N君には、もうホントにお世話になったんだ!」 色々なエピソードを伝えたいが、もう夜も遅いし、N君も早く二人になりたいだろう。 すぐに明日からまた仕事だ。 お互いに自然と右手を差し出していた。 「それじゃあ、どうも有難う!お疲れさん!気を付けて・・・」 カートを押して去っていく二人を少し眺めてから、駐車場ビルへ向かう。 出口のドアが自動で開く。2月。そうだ、日本はまだまだ寒かったんだ。 薄手のシャツのまま、空港島の潮風を吸い込むと、これまで感じたことのない熱い思いが湧き上がってきた。・・・また関空に来たいと思った。 家族に向き直り・・・「あぁ楽しかった!」 |



